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サグラダ・ファミリア(カタルーニャ語: Sagrada Família)は、日本語に訳すると聖家族贖罪教会(カタルーニャ語: Temple Expiatori de la Sagrada Família)

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サグラダ・ファミリアカタルーニャ語: Sagrada Família)は、日本語に訳すると聖家族贖罪教会カタルーニャ語Temple Expiatori de la Sagrada Família)という正式名称を持つ、スペインバルセロナにあるカトリック教会バシリカである。日本語では聖家族教会と呼ばれることも多い。

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伏見稲荷大社(ふしみいなりたいしゃ)は、京都市伏見区深草にある神社。

伏見稲荷大社(ふしみいなりたいしゃ)は、京都市伏見区深草にある神社式内社名神大社)、二十二社(上七社)の一社。旧社格官幣大社で、現在は単立神社となっている。

旧称は「稲荷神社」。稲荷山の麓に本殿があり、稲荷山全体を神域とする。全国に約3万社あるといわれる[1]稲荷神社の総本社である。初詣では近畿地方の社寺で最多の参拝者を集める(日本国内第4位〔2010年〕)[2]。現存する旧社家は大西家。

京都盆地東山三十六峰最南端の霊峰稲荷山の西麓に鎮座する稲荷信仰の御本社。その信仰は稲荷山の三つの峰を神そのものとして崇拝したことを源流とする[3]。初め農耕の神として祀られ、のちに殖産興業の性格が加わって衆庶の篤い信仰を受けた。神が稲荷山に降り立ったという縁起から、2月の初午の日は古来より多くの参拝者で賑わう。清少納言が自らの稲荷詣を『枕草子』に記すほか、『蜻蛉日記』『今昔物語集』など古典にもしばしば登場する[4]平安時代東寺(=教王護国寺)の造営にあたって鎮守社となるや、真言密教と結び付いてその信仰を拡大[5]、次第に神位を高めて『延喜式名神大社に列し、天慶5年(942年)に正一位の極位を得た。この間、延喜8年(908年)に左大臣藤原時平が三箇社を修営(『年中行事秘抄』)、その後源頼朝足利義教らが社殿の造営、修造に関わったが、応仁の乱にてすべて焼亡。乱後、社僧による勧進の下で再建が始まり、明応8年(1499年)に至って遷宮を迎えた[6]。近世まではこれら勧進僧たちが稲荷信仰の普及や稲荷講の結成に大きく関与した[7]という。

明治政府神仏分離令によって、本願所[注 1]のほか境内の仏堂がすべて廃寺となる一方、崇敬者による鳥居の奉納や私的な「お塚」の建立が稲荷山中で顕著化し、現在の伏見稲荷大社を特徴づけるものとなった。稲荷祭の最終日に東寺の僧侶らが東門(慶賀門)の前に供物を並べ、還幸する下社の神輿に読経をあげる儀式があり、古くから続く両社寺の深い関係を今に伝えている[8]

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八坂神社(やさかじんじゃ)は、京都府京都市東山区祇園町北側にある神社。

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八坂神社(やさかじんじゃ)は、京都府京都市東山区祇園町北側にある神社二十二社(下八社)の一社。旧社格官幣大社で、現在は神社本庁別表神社

全国にある八坂神社素戔嗚尊を祭神とする関連神社(約2,300社)の総本社であると主張している。通称として祇園さん八坂さんとも呼ばれる。祇園祭(祇園会)の胴元としても知られる。

京都盆地東部、四条通の東端に鎮座する。境内東側にはしだれ桜で有名な円山公園が隣接していることもあって、地元の氏神(産土)としての信仰を集めるとともに観光地としても多くの人が訪れている。

正月三が日の初詣の参拝者数は近年では約100万人と京都府下では伏見稲荷大社に次ぐ2位となっている。また東西南北四方から人の出入りが可能なため、楼門が閉じられることはなく伏見稲荷大社と同じように夜間でも参拝することが出来る(防犯のため、監視カメラ設置。また、夜間でも有人の警備は行われている)。

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吉水神社、?水神社(よしみずじんじゃ)は、奈良県吉野郡吉野町にある神社。

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吉水神社?水神社(よしみずじんじゃ)は、奈良県吉野郡吉野町にある神社。旧社格は村社。世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の一つとなっている。「吉」の正確な表記は「Tsuchiyoshi.svg」(「土」の下に「口」、つちよし)である[注釈 1]

社伝では、白鳳年間に金峯山寺僧坊吉水院(きっすいいん)として役行者により建立されたと伝えられる。

文治元年(1185年)12月には源頼朝に追われた源義経武蔵坊弁慶静御前などが5日間吉水院に身を潜めている。

南北朝時代後醍醐天皇が吉野に潜幸した時、吉水院の宗信法印の援護を受けて吉水院に行宮を設け、一時居所とした。後醍醐天皇の崩御の後、後村上天皇が後醍醐天皇の像を作って吉水院に奉安している。

文禄3年(1594年)に豊臣秀吉が行った吉野の花見の際には吉水院はその本陣とされ、5日間滞在している。現在も残る名勝の庭園は、その際に秀吉自らが造ったものであるという。

明治時代に入ると神仏分離令と国家神道化の観点から天皇を仏式で供養することが問題視され、1871年(明治4年)5月に五条県が吉水院を神社に改めて「吉野神社」とする案を太政官政府に提出した。後醍醐天皇を祀る神社を別に作ることを計画していた[注釈 2]政府は五条県の案を却下したが、金峯山寺の廃止が迫る情勢となったことから、奈良県が神社への改組を働きかけ、1874年(明治7年)12月17日に吉水院は後醍醐天皇社の名で神社になることが太政官に承認された。

1875年(明治8年)2月25日、社名を吉水神社に改称し、併せて南朝方の忠臣であった楠木正成、吉水院宗信法印を配祀し、やがて村社に列している[1]

現在、本殿には2001年平成13年)に焼失した勝手神社の祭神が仮遷座されている。

境内からは「一目千本」と呼ばれる中千本と上千本のがよく見える。

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平安神宮(へいあんじんぐう),位于京都府京都市左京区的神社。旧社格为官币大社、勅祭社。現在是神社本廳的別表神社。

平安神宮(へいあんじんぐう),位于京都府京都市左京区神社。旧社格官币大社勅祭社。現在是神社本廳別表神社。1895年(明治28年)3月15日,平安遷都平安京1100年,为祭祀当時的天皇第50代桓武天皇而创建的神社。皇紀2600年(1940年,昭和15年),平安京最后的天皇第121代孝明天皇加封祭神。平安神宫是授予守卫京都四神御守的地方。

 

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明治神宮(めいじじんぐう)は、東京都渋谷区にある神社。旧社格は官幣大社で、勅祭社。

明治神宮(めいじじんぐう)は、東京都渋谷区にある神社旧社格は官幣大社で、勅祭社明治天皇昭憲皇太后祭神とする[1]。境内はそのほとんどが全国青年団の勤労奉仕により造苑整備されたもので、現在の深い杜の木々は全国からの献木が植樹された。また、本殿を中心に厄除七五三などの祈願を行う神楽殿、「明治時代の宮廷文化を偲ぶ御祭神ゆかりの御物を陳列する」明治神宮ミュージアム、「御祭神の大御心を通じて健全なる日本精神を育成する」武道場至誠館、神道文化の国際的な発信を行う明治神宮国際神道文化研究所などがある。新年には毎年のように国内外から観光客が集まり、初詣では例年の参拝者数が1位となっている[2]

 

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東大寺(とうだいじ)は、奈良県奈良市雑司町にある華厳宗の大本山の寺院。

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東大寺(とうだいじ)は、奈良県奈良市雑司町にある華厳宗大本山寺院。正式には金光明四天王護国之寺(きんこうみょうしてんのうごこくのてら[1])ともいい、奈良時代(8世紀)に聖武天皇が国力を尽くして建立した寺である。奈良大仏として知られる盧舎那仏(るしゃなぶつ)を本尊とし、開山(初代別当)は良弁である[2]。現別当(住職・222世)は狹川普文。

奈良時代には中心堂宇の大仏殿(金堂)のほか、東西2つの七重塔(推定高さ約70メートル以上)を含む大伽藍が整備されたが、中世以降、2度の兵火で多くの建物を焼失した。現存する大仏は、度々修復を受けており、台座(蓮華座)などの一部に当初の部分を残すのみであり、また現存する大仏殿は江戸時代中期の宝永6年(1709年)に規模を縮小して再建されたものである。「大仏さん」の寺として、古代から現代に至るまで広い信仰を集め、日本の文化に多大な影響を与えてきた寺院であり、聖武天皇が当時の日本の60余か国に建立させた国分寺の中心をなす「総国分寺」と位置付けされた。

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法隆寺地域の仏教建造物(ほうりゅうじちいきのぶっきょうけんぞうぶつ)は、奈良県生駒郡斑鳩町にあるユネスコの世界遺産(文化遺産)。

法隆寺地域の仏教建造物(ほうりゅうじちいきのぶっきょうけんぞうぶつ)は、奈良県生駒郡斑鳩町にあるユネスコ世界遺産(文化遺産)。法隆寺および法起寺の建造物から構成される。姫路城とともに日本初の世界遺産として登録された。

この遺産には法隆寺の建造物47棟と法起寺の三重塔を加えた48棟が含まれる。法隆寺をはじめとするこの地域の仏教建築物は聖徳太子と縁が深く、中国の六朝時代の建築の影響を多大に受けている。特に、法隆寺の西院伽藍は、建築年代に諸説あるが世界最古の木造建築として国際的にも著名である。

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浅草寺(せんそうじ)は、東京都台東区浅草2丁目にある東京都内最古の寺である。

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浅草寺(せんそうじ)は、東京都台東区浅草2丁目にある東京都内最古のである。正式には金龍山浅草寺(きんりゅうざんせんそうじ)と号し、観音菩薩を本尊とすることから浅草観音(あさくさかんのん)として知られている。山号は金龍山。

元は天台宗に属していたが、昭和25年(1950年)に独立し、聖観音宗本山となった[1]。都内では、坂東三十三箇所観音霊場唯一の札所(13番)、また江戸三十三箇所観音霊場の札所(1番)でもある。全国有数の観光地であるため、正月の初詣では毎年多数の参拝客が訪れ、参拝客数は常に全国トップ10に収まっている[2]。本尊は聖観世音菩薩

 

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清水寺(きよみずでら)は、京都市東山区清水にある北法相宗の大本山の寺院。

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清水寺(きよみずでら)は、京都市東山区清水にある北法相宗の大本山寺院山号は音羽山。正式には音羽山清水寺(おんわさんきよみずでら)と号する。本尊は十一面千手観世音菩薩。もとは法相宗に属していたが、現在は独立して北法相宗を名乗る。西国三十三所第16番札所。

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熊野那智大社(くまのなちたいしゃ)は、和歌山県東牟婁郡那智勝浦町にある神社。

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熊野那智大社(くまのなちたいしゃ)は、和歌山県東牟婁郡那智勝浦町にある神社熊野三山の一つ。熊野夫須美大神を主祭神とする。かつては那智神社、熊野夫須美神社、熊野那智神社などと名乗っていた。また、熊野十二所権現や十三所権現、那智山権現ともいう。旧社格官幣中社で、現在は神社本庁別表神社

熊野那智大社の社殿および境内地は、ユネスコ世界遺産紀伊山地の霊場と参詣道』(2004年平成16年〉7月登録)の構成資産の一部[1]

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醍醐寺(だいごじ)は、京都市伏見区醍醐東大路町にある真言宗醍醐派の総本山の寺院。

醍醐寺(だいごじ)は、京都市伏見区醍醐東大路町にある真言宗醍醐派総本山寺院山号を醍醐山(深雪山とも)と称し、本尊薬師如来。上醍醐の准胝堂(じゅんていどう)は、西国三十三所観音霊場第11番札所で本尊は准胝観世音菩薩。京都市街の南東に広がる醍醐山(笠取山)に200万坪以上の広大な境内を持ち、国宝重要文化財を含む約15万点の寺宝を所蔵する[1]豊臣秀吉による「醍醐の花見」が行われた地としても知られている。古都京都の文化財として世界遺産に登録されている。

札所本尊真言(准胝観音):おん しゃれい それい そんでい そわか

ご詠歌(上醍醐):逆縁(ぎゃくえん)ももらさで救う願(がん)なれば 准胝堂はたのもしきかな

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